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さて、これからがマッチの本題に入るのだが、明治7(1874)年、たまたまフランス外遊でパリに来た宮内次官、吉井友実卿と同席する機会があり、そこでマッチの国産化をはかるため、是非ともマッチ製造事業を興してほしいと懇願されてしまったのである。清水 誠にとっては大学で化学も学んだとはいっても本来、器械学、造船学に専念していたのに、エーッ!そんなぁ〜、という心境だったかもしれない。 |
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その後の清水 誠の活躍には目覚ましいものがあり、マッチ軸木の探索、確保、安全マッチの製法の伝播や輸出の先駆けも果たし、国産マッチの販売機関「開興商社」を設立する。くわえて、マッチ製造機械の改良、発明や連軸マッチ(ブックマッチ)の特許なども推し進め、先々、日本がマッチ大国となる礎を築いた。 さて、ここでは新燧社の初期のマッチラベルのいくつかを紹介する。 清水 誠はマッチ製造を開始するにあたってどんな意匠にしようかと考えた末、日本の象徴である桜を選んだ。 |
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金沢から意気に燃えて上京した折にふと目にした上野公園の満開の桜にちなんで桜花を新燧社のブランドマークにしたともいわれている。 |
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